W/F ダブル・ファンタジー(村山由佳・2009年)
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奈津・三十五歳、脚本家。
尊敬する男に誘われ、家を飛び出す。
“外の世界”に出て初めてわかった男の嘘、夫の支配欲、そして抑圧されていた自らの性欲の強さ―。
もう後戻りはしない。
女としてまだ間に合う間に、この先どれだけ身も心も燃やし尽くせる相手に出会えるだろう。
何回、脳みそまで蕩けるセックスができるだろう。
そのためなら―そのためだけにでも、誰を裏切ろうが、傷つけようがかまわない。
「そのかわり、結果はすべて自分で引き受けてみせる」。
(「BOOK」データベースより)
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全ての村山作品を読んでいるわけではないけれど、これは相当異色なの作品だと思う。
週刊文春での連載だったからなのか、作者が違うと思って手に取ったほうがいいかもしれない。
前に、テレビでみた村山さんは、この主人公みたいに、結婚し田舎で農作業をしつつ作家活動をしている人だった。
そして今は、離婚し東京へ戻ってきている。
これは自叙伝なの!?
それならそれですごいカミングアウトだけど。。。
読み始めた最初の頃は「役者が違いすぎるって感じ?」という台詞の通り、善悪がはっきりしていて、描写はさておき少女マンガの世界だな。と思った。
ところがどっこい…。その後は昼メロもびっくりなドロドロさ。
それにしても、この主人公は人からされたことしか人にできないのか?
結局、「夫とはどうなったのか?」とか、「男に現を抜かしている間の仕事はどうなっているのか?」などなど、意外と描かれてない部分が多く消化不良な感じではある。
ところで「ダブル・ファンタジー」というと、ジョンレノンとオノヨーコのアルバムが有名だそうですね。
「ジョンが息子を思う歌を歌っている次にヨーコが横の男(ジョン)について歌う。男女のファンタジーはそれほど違う」なんて批評を読んだことがある。
この「ダブル・ファンタジー」も結局は男と女の違いを書きたかったのかな?なんて思いました。
話がそれますが、「桜の花びらで染めても灰色だけど、咲く前の枝を伐って染めると桜色になる」という話は、「野生の風」にも出てきましたね。
なんだか懐かしく思いました。
読んでいて「う~ん」とうなりたくなるのは多かったですね。
習慣は、意識して直さない限り直らない。
「鋭さの質」の違いについて、女は『図太い』、男は『迂闊』
言い返すのは、相手の変化を期待するからだ。期待そのもを手放してしまえば、もはや言い返す必要もない。
自分で自分のことを嫌いだなんて言うのは、自意識過剰の馬鹿だけよ。
誰だって自分のどこかを嫌ってる。それをわざわざ口に出すなんて、逆に、私は自分のことが大好きですって白状しているようなものじゃない。
『あきらめる』という言葉は、もともとは『明らかに究める』という意味から発しているんです。
装丁をパッと見で女の人の足だと思ったけど裏を見ると違いますね。
すべてにおいて裏切ってくれる本でした。