田中一村展 奄美の光 魂の絵画@東京都美術館
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「東京行くならモネ展より田中一村展がおすすめ!」と芸術に長けた夫の友人からお勧めされた「田中一村展」を観に、東京都美術館へ。
東京都美術館の基本情報はこちらから≫≫≫上野には美術館や博物館がたくさんあって、どこで何を観たのかごちゃごちゃなのですが、、、(^^;
マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝にフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を観に行ったのは覚えてる。
この企画展が東京都美術館のグランドオープンだったのは、先ほど調べて知ったのですが、、、(^^;
さて、話を一村展に戻しまして、、、
最近、「日曜美術館」で取り上げられたそうで結構な混雑でした、、、
会期
期間:2024年9月19日(木)~12月1日(日)
- 前期展示:9月19日(木)〜10月24日(木)
- 後期展示:10月25日(金)〜12月1日(日)
休室日:月曜日、9月24日(火)、10月15日(火)、11月5日(火)
※ただし、9月23日(月・休)、10月14日(月・祝)、11月4日(月・休)は開室
開室時間:9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
音声ガイドは小泉孝太郎さんと中村悠一さん
音声ガイドにも出てきましたし展示もされていたのですが、逓信大臣などを歴任した小泉又次郎氏(小泉純一郎元総理の祖父)が田中一村氏の後援会長をされていた時期もあったんだとか☆
すごいつながりですね☆
音声ガイドの第一声は中村悠一さんの渋い声☆
しびれましたー。。。
田中一村とは
※公式サイトから拝借
田中一村
(たなか・いっそん/明治41年[1908]-昭和52年[1977])
栃木町(現・栃木市)に生まれる。本名は孝。大正3年(1914)、東京に転居。翌年、彫刻師の父から米邨(べいそん)の画号を与えられる。幼年期から卓越した画才を示し、神童と称される。南画を得意とした。大正15年(1926)、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学するも、2ヶ月で退学。「家事都合」とされるが詳細は不明(同級生には後の日本画壇を代表する東山魁夷や橋本明治らがいた)。その後、3人の弟と両親を立て続けに亡くす。昭和13 年(1938)、姉、妹、祖母と千葉に転居。農業をしながら制作に従事。昭和22年(1947)、柳一村と画号を改め、《白い花》が青龍展に入選。翌年、田中一村の名で同展に入選するも、自信作が落選したため辞退。その後、日展、院展と相次いで落選。わずかな支援者を頼りの制作が続くが、昭和33年(1958)、50歳にして単身奄美大島へ移住。紬織の染色工として働き、生活費を貯めては、奄美の自然を主題とした絵に専念する日々を送る。昭和52年(1977)、夕食の支度中、心不全により亡くなった。享年69歳。
昭和54年(1979)、有志により奄美で遺作展が開催され、異例の3千人もの動員を記録。昭和59年(1984)、NHK「日曜美術館」の特集放映で全国的に注目を集め、その後も展覧会の開催や評伝刊行など、顕彰の動きは止まず、平成13年(2001)、奄美に田中一村記念美術館が設立された。
田中一村展 奄美の光 魂の絵画
今回、初展示も含め、300点超え!
一言で言うならば、大回顧展。
ここまで集まることは、今後は無いかもしれないですね。
- 第1章 若き南画家「田中米邨」東京時代
- 第2章 千葉時代「一村」誕生
- 第3章 己の道 奄美へ
会場は一階から三階までびっしりと!
神童と言われた「米村」時代から年代を追って展示されていくので、作風の移り変わりをまざまざと体感することができました。
キャプションに年齢も書かれていて、「この年でこの絵!?」と驚いたり、年齢とともに絵が変わっていくのもよくわかりました。
田中一村と言えばの「アダンの海辺」(↓左)も素敵ですが、「閻魔大王への手土産」と生前語っていたという「不喰芋と蘇轍(くわずいもとそてつ)」(↓右)が圧巻☆
※公式サイトから拝借
差し出された閻魔大王もさぞかし魅入ったことでしょう。。。
どちらもキービジュアルになっていますが、やはり絵画は実物を見てこそですね。
※Tokyo Art Beatさんより拝借
個人的には帯や日傘にくぎ付け、、、
襖絵も前に座って半日ぐらい眺めていたい、、、
そうそう、千葉時代の一村がお姉さんを撮影した写真も素敵だったの!
他にも写真がたくさん展示されていたのですが、当時は今と違って現像するまでどう撮れているかわからないわけで、、、
写真を見ているだけでも、芸術的センスがあるのがうかがえます。
- 白い花
- 秋色
- 椿図屏風(一面の金無地との対比が素敵)
- 花と軍鶏
- 奄美の海に蘇鉄とアダン
- 初夏の海に赤翡翠
- 海老と熱帯魚
混み具合などなど
SNSの情報で混んでいるというのは知っていました。
今回は10時前に到着。
土曜日ではありましたが、チケット購入にはほぼ時間がかかりませんでした。
ただ、入場は30分毎に区切られていたようなので、到着時間によっては多少待たないといけないかと。
私たちはちょうど10時の入場で入れました。
どこの展示もですが、入口が一番混みますね。。。
この展示は戻ることができるので、早い時間の到着でしたら、先に3階まで上がってしまって、空いているフロアを堪能してから1階に戻るのもお勧め☆
じっくり3時間ほど見て、13時前に会場を後にしましたが、この頃には当日券の販売にも行列が☆
この日に限ってカモしれませんが、早い時間が比較的空いているようでした。
フォトスポットが2か所
展示は撮影禁止ですが、2か所フォトスポットが☆
↑の団扇以外にもアダンとアカショウビンのぬいぐるみも置いてありました☆
ちなみに、展示室→ミュージアムショップの後にありますが、ここからも展示室に戻ることができます。
フォトスポットは列ができるほどではなかったですが、
最後に、、、
そんなこんなで大満足の「田中一村展」!
いつか、まだ行ったことのない奄美大島へ行き、田中一村記念美術館と田中一村終焉の家へ訪れたいな。
奄美大島で紬織の染色工として働いていたことにちなんでか、会場へ大島紬で来られている方も多く眼福でした♡
今年もほぼほぼ着物を着ることなく終わりそう、、、(^^;
余談ですが、、、
一村展後、はにわ(挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」)が観たい夫と、着物(モダンきもの―名門「大彦」の東京ファッション―)が観たい私で、トーハクに向かったのですが、Hello Kitty展もあって、入口からすでに大行列、、、
東京国立博物館(トーハク)の基本情報はこちらから≫≫≫入場するまでに3列の折り返す列ができていたので断念、、、
Hello Kitty展 ーわたしが変わるとキティも変わるーの前売り券はこちらから≫≫≫Hello Kitty展の当日券は現地で購入できないので、↑前売り券を購入してから向かいましょうね!
東京の美術館・博物館は相変わらず大混雑ですねー。。。