青のフェルマータ(村山由佳・1995年)普段は質素に、たまには豪華に。

青のフェルマータ(村山由佳・1995年)

修子
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両親の不和、離婚から言葉を失った里緒は、治療に効果的だというイルカとのふれあいを求めて、オーストラリアの島にやってきた。
研究所のイルカの世話を手伝って暮らす彼女に島に住む老チェリストJBが贈る「フェルマータ・イン・ブルー」の曲。
美しいその旋律が夜明けの海に響いたとき、海のかなたから野生のイルカが現れて―。
心に傷を持つ人々が織りなすイノセントでピュアな愛の物語。
(「BOOK」データベースより)
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まだ、村山由佳さんがデビューされて間もない頃の本。
たまたま、図書館の棚にあったので借りてみました。

傷ついた主人公がイルカに、人に、癒され成長していくお話。

読みながら、「ちょうど出版された頃、イルカセラピーってあったよなぁ。」と思っていたら、あとがきで「流行に乗ったと思われたくない」とありました^^;
どうも、作者の実体験的要素もあるみたいです。

話としては、突然動き出したり、中途半端なまま終わった部分もあったりと、消化不良な感じもします。
でも、青い空、青い海、白い砂浜。。。
海っていいなぁ~。。。とオーストラリアの夏の海に思いをはせながら読みました。

夏に読み直したい本ですね。
できれば、海辺で夕暮れの風を受けながらのんびりと^^

わたしたちの心の動きは、本来、言葉なんかで言い表しきれるような単純なものではないはずのに、世の中には、逆に心のほうが言葉に縛られてしまっている人がたくさんいるように思える。

ひとつひとつの言葉のあらわす狭い意味だけに、機械的にしたがって考える習慣がついてしまって、もっと大事なこと―伝えたい想いは、言葉の表皮を1枚めくったところに隠れているということ―を、忘れてしまうのだ。ちょうど、人間が道具に頼ってくらしてきたせいで、素手では何もできなくなってしまったのと同じように。

もしかすると人は、相手に対して自分がしてあげられたことの結果をその目で見るとき、初めて、そこにいることを天から赦されたような気持ちになれるのかもしれない。愛する者のために何かをすることは、何かをしてもらうことよりもずっと深く、わたしたちを癒す。

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修子

酒・食、時々、旅・舞台・着物𝓮𝓽𝓬.

レジャックの外が見えるエレベーターが子供の頃の遊び場だった名古屋生まれの名古屋人

普段は質素に暮らし、でもたまには豪遊したい♡
そんなの日常を綴っています

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