クライマーズ・ハイ
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北関東新聞の古参記者、悠木和雅は、同僚の元クライマー、安西に誘われ、谷川岳に屹立する衝立岩に挑む予定だったが、出発日の夜、御巣鷹山で墜落事故が発生し、約束を果たせなくなる。
一人で出発したはずの安西もまた、山とは無関係の歓楽街で倒れ、意識が戻らない。
「下りるために登るんさ」という謎の言葉を残したまま―。
未曾有の巨大事故。
社内の確執。
親子関係の苦悩…。
事故の全権デスクを命じられた悠木は、二つの「魔の山」の狭間でじりじりと追い詰められていく。
(「BOOK」データベースより)
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子供のころ、毎年お盆には母方の親戚がそろって旅行に行っていた。
たまたまその年は、長野の善光寺経由で松代に行った。
夜、旅館についた時に「山の方でなにかあったらしくて外がばたばたしている。」と言われた。
それが、日航機墜落事故だった。
当時、小学5年生だった私は事故の大きさの実感がわかなかったけれど、
その時、近くにいたということもあって、今でも飛行機で何かある度に思い出す。
この事故は作者が上毛新聞社の記者時代に、実際に現場でも取材したそうだ。
「――記録でも記憶でもないものを書くために、18年の歳月が必要だった。」
それほど、衝撃的で大きな事故だったということでしょう。
新聞記者だったというだけあって、臨場感のある「修羅場」が描かれています。
1つのことも、見る目を変えたら違う見え方をします。
報道(新聞記者)の目から見たら事件事故とはこうなんでしょう。
私は、新聞記者でもないのに、夜中に急遽、輪転機を止めて差し替えるということのある職場にいた。
だから、ちょっとだけ〆切り前の1分1秒に追われる感覚がわかります。
いくつもの仕事を平行してこなし、それぞれの〆切りに追われる。
忙しければ忙しいほどテンションがあがる。
まるで「クライマーズ・ハイ」のように…。
そう、これは山登りのお話でもあります。
山登りを趣味とする同僚に誘われ、谷川岳衝立岩に登るはずのところに墜落事故。
その谷川岳衝立岩に17年後に登る。
17年前を、いや、17年間を思い出しながら…。
見えない頂上に向かってひたすら進んで行くのは、仕事も人生も山登りと同じなのかもしれない。
「クライマーズ・ハイ。一心に上を見上げ、脇目もふらずにただひたすら登り続ける。
そんな一生を送れたらいいと思うようになった。」とあるように。
主人公は、群馬県の地元紙につとめる40歳の中堅記者。
それを取り巻く同僚、後輩、上司、上層部。それに、家族、同僚の家族や親族と登場人物は多い。
一人称ではあるけれど、いろんなことが平行して起こっている。
そんな中、「重い命と、軽い命。大切な命と、そうでない命・・・日航機の事故で亡くなった方たち、マスコミの人たちの間では、すごく大切な命だったんですよね。」と元同僚のいとこに言われる。。。
知らず知らずのうちに自分の中で優劣をつける。
これは誰もが日々に生活の中でしていることだろう。
ましては、事件・事故と隣り合わせのマスコミであれば大きなことに目が向き、他のものが後回しになる。
でも、当事者にとったら、どれもが「大きなこと」なのだ。
読みながら、作者が書くのに18年の歳月が必要だった理由がわかるような気がしました。
映画を観たかったのですが、気づいた時には公開終了していました。
堤真一さんも、堺雅人さんもイメージぴったりです。
近いうちにテレビでやらないかなぁ。。。
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酔わなきゃ本音をいえない人を信じちゃだめだよ。
そういう人は本当の人生を生きていないからね。
下りるために登るんさ。
生まれてから死ぬまで懸命に走り続ける。
転んでも、傷ついても、たとえ敗北を喫しようとも、また立ち上がり走り続ける。人の幸せとは、案外そんな道々に出会うものではないだろうが。
クライマーズ・ハイ。一心に上を見上げ、脇目もふらずにただひたすら登り続ける。そんな一生を送れたらいいと思うようになった。