食堂かたつむり(小川糸・2008年)
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料理の神様、お願いします――衝撃的な失恋のあと、倫子は故郷に戻り実家の離れで食堂を始める。
ある噂とともに店は評判になるが。
失ったもの:恋、家財道具一式、声。
残ったもの:ぬか床。
ふるさとに戻り、メニューのない食堂をはじめた倫子。
お客は一日一組だけ。
そこでの出会いが、徐々にすべてを変えていく。
「食べる」ことは愛することであり、愛されることであり、つまり生きることなんだって改めて教えられる素敵な物語でした。―――草野マサムネ(スピッツ)
毎日口にするごはんにこんな物語が詰まっているなんて気がつかなかった。これからは大きな声で「いただきます」と言いたい。―――岡野昭仁(ポルノグラフィティ)
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本屋さんで平積みされていて、装丁と題名に惹かれ、いつか読もうと思っていた本。
調べてみたら、作者の旦那さんが有名な音楽プロデューサーだそうで、メディアでの取り上げが多く、結構な売り上げらしいですね。
帯にコメントを寄せているのも、有名なミュージシャンだし、やっぱりそういうバックボーンがあると恵まれるんだなぁ…と嫌味じゃなく(嫌味か?(笑))思いました。
埋もれている素敵な本が多数ある中、そういうのがあるとぽっとランキングに入っちゃうんですもんね…。
そういう環境ってうらやましいような気もするけど、反響が大きすぎて大変かも知れないですけどね。
話を本に戻すと…。
結構突っ込みどころ満載な本でした(笑)
「食堂かたつむり」というレストランを始めるのですが、1日1組だけの客で店がやっていけるわけがないでしょ!って思う私にはこの本はダメなんでしょうね。
他にも、熊さんの存在が都合よすぎ。
とか、
一文無しで母に借金しているのに、妙に贅沢な生活だよなぁ。
とか…。設定に違和感があって、感情移入できませんでした。
ファンタジーでもないし、SFでもない。かと言って現実味も無い。
絵の無い絵本と思えば、いいのかもしれません。
と言いつつ、詳細な屠殺の場面が出てくるので、絵本もと言いがたいかも…。
設定を取っ払っても、全体的に内容が盛りだくさん過ぎて言いたいことの論点が定まらない感じがします。
食の大切さを訴え、出生の秘密が鍵を握り、母子の疎遠・復縁も出てくる。
どれも、言いたいことはわかるけれど、広く浅くで道徳の時間に読むような、きれいごとが並べてあるという感じがしてしまう。
取っ掛かりは驚きの設定で、続きか気になったのでこの展開は残念でした。
なんだかんだと辛口コメントでしたが、
食べ物題材にした表現は素敵。
「無花果は両手で両足を抱きかかえるようにしてうずくまる子どもの背中のようだった。」「空には玉ねぎの薄皮みたいに半透明の薄い雲の膜が、ぴったりと貼り付いている。」
ベトナムの蓮の葉っぱで作ったお茶を淹れる時には、「どうか、泥のような状況の中からでも蓮の花のように美しい一輪の花が咲きますようにと願いながら。」
「本来なら、ものごとがすべて解決したかのように見えるはずなのに、後悔は、小骨のように私の喉の奥に引っかかったまま、落ちていこうとしなかった。」
などなど。
料理を作る時には、
「嫌い、と言う感情は、必ず味に反映されるから。とにかく、心も頭も空っぽにした。イライラしたり悲しい気持ちで作ったりしたお料理は、必ず味や盛り付けに現れますからね。食事を作る時は、必ずいいことを想像して、明るく穏やかな気持ちで台所にたつのですよ。」いい言葉ですね。
ホントに作り手の感情が料理には出ると思うので、肝に銘じたい言葉です。
こういうあたりは作詞家や絵本作家の肩書きをお持ちなだけはあります。(これも嫌味?(笑))
再読は無いけれど、読んでよかったとは思いました。